毎年「母の日のプレゼント何にしようかな〜」って考えるのは大変だったりしますが、お母さんの喜ぶ顔が見たい「母の日」。ふと、「アレ?そう言えば、母の日って何であるの?由来って何だっけ??」なんて疑問に思っちゃうこともありますよね。
わざわざ専用の日を作って「お母さんに感謝!」って、どうして??そんな疑問をキレイサッパリ解決するべく、詳しく調べてみましたよー!
- ズバリ教会って何か関係してるの?
- 最初はなかなか苦戦・・
- キリスト教との深い関係とは?
- どうやって定着していったの?
- 意外な日本での対応・・・
- カーネーションを上げる理由って?
- 本格的に祝いたい人に知ってほしい事!
などもまとめているので、その理由を説明出来るようになって友達に自慢しちゃいましょう〜^^
母の日の由来!教会が関係あるの?
母の日についてちょっと調べてみたら、歴史は17世紀イギリスに始まるようです。
そのころの母の日は、「マザーズサンデー」または「マザーズデー」と呼ばれていました。なんと、母親のもとを離れて丁稚奉行(でっちぼうこうだって・・・。本当に昔の話ですね)に出された子供たちが、1年に1回だけ教会でお母さんに会うことができた日なんだそうです。
なんだか、某名作アニメができそうなお話ですが、今の世の中からは信じられないことばかりですね・・^^;
最初は、平和の日としては定着しなかった・・・
この「母の日」はキリスト教の習慣の一つで、イースターの大体40日前になるので、今とは季節も意味も全く違っていました。
その後、アメリカではこの名前だけが、女性活動家ジュリア・ウォード・ハウによって取り入れられたんですね!1870年になるとジュリアは、「母の日宣言」と呼ばれる、平和と武装を止めようなどと訴える声明を発表しました。
しかし、残念ながら『平和な日』として定着を図った母の日は、定着することはなかったんですね・・・
イースターって何だっけ?
具体的には、家族で集まって美味しい食事を食べたりしますが、特に卵を使った料理が多いのが特徴的!何でも、卵=生命が誕生するという意味があるからだとか!
何か仰々しい日を想像してましたが、卵を使った食事をするって何だか、とっても楽しそうですね!^^
受け継がれていく母への想い
ジュリアの平和を求めた運動に影響を受けた女性活動家アン・ジャービスは「母の日」活動として、南北戦争の後に南部と北部のわだかまりをなくすために「母の日友好日」を設けるなど、平和を願って活動を続けていました。
アンが亡くなると、その2年後、活動を支えてきたアンの娘アンナが母親の追悼の会で「母の日」を平和活動の日ではなく、自分の母親の活動を振り返りながら、母親に対して敬意を表する現在の母の日の元といえる『母の日』構想について、親しい友人たちに話しました。
そして、アンナはウエストヴァージニア州のグラフトンにある、アンドリューメソジスト教会に、その「母の日」についての構想を綴った手紙を出したのです。
教会と母の日の深い関係も・・・
その教会では母であるアンが約20年もの間、日曜学校の教師をしていたというのもあって、その努力に対する敬意も表したかったのだそうです。教会は提案を受け入れ、1908年5月10日、400人以上の母親と子供を招いた最初の「母の日式典」が行われました。
この日が5月の第2日曜日だったことから、5月の第2日曜日が母の日として祝われるようになったのだそうですよ!
その後、母の日の運動は急速にアメリカ中に広がっていき、わずか3年後の1911年には、全米の大半の州で「母の日」が祝われるのが一般的になりました。
そして、1914年、当時の大統領ウィルソンの提案で、5月の第2日曜が国民の祝日「母の日」と決められることになったんです!まさに地道なジュリアの努力が報われた瞬間ですね・・(´;ω;`)
日本ではどうだったの!?
この辺りは、世界各国に比べてかなり遅れていますね〜まぁ文化の違いと言ったらそれまでですが、ちょっと寂しく感じたりもしますね。。
たまには、ストレートに母への愛を伝えてもいいかもしれませんね!年をとったら涙腺がゆるく・・・ウゥ・・(T^T)
それにしても、始まりがキリスト教の習慣だったり、初の式典が教会の力を借りるモノだったり、母の日と教会は深いつながりがあるんですね!いや〜色々勉強になるなー!(笑)
何でカーネーションをプレゼントするの?
母の日の始まりや、教会については分かってもらえたと思いますが、「何でカーネーションなの?」って不思議に思うでかもですが、その理由を知ったら「なぁんだ!」ですよ。
1908年に初の「母の日」式典で提唱者であるアンナ・ジャービスが、母親であるアンの好きだった真っ白いカーネーションを式に参加していた人達に配ったのが始まりといわれています。
お母さんが好きだった花を配るなんて、何てロマンティックなんでしょう・・・教会での式典、それも母を偲ぶ折に、お花は欠かせないですモンね〜イイ話しです^^
そして今では、
- 元気で生きている母 ⇒ 赤いカーネーション(花言葉は「愛情」)
- 亡くなった母 ⇒ 白いカーネーション(白は「尊敬」
を送るのが定番のようです。
うーん、どちらも母の日にピッタリですね!花言葉もそれぞれ違うので、
日本で母の日が広がった理由って何なの!?
あまり定着しなかったと書いた戦前時代の母の日ですが、なんとその頃は、昭和天皇の皇后、香淳皇后(こうじゅんこうごう)のお誕生日である3月6日に設定されていたんです。
今の天皇陛下をお産みになった香淳皇后は、文字通り日本の母であったワケですね!この辺りも時代性を感じれて、興味深いですφ(..)メモメモ
けれど、アメリカのように大々的には定着しませんでした。そんな中、1937年に森永製菓が『森永母を讃える会』を作って、大きく母の日をアピールするようになったんです!
というのも、森永製菓の創業者、森永太一郎氏が熱心なクリスチャンで、母の日を日本でも広げようとしたのだそうです。1937年の「第一回 森永・母の日大会」というイベントは、新聞社によって取材され、それにより「母の日」が日本にも広がることになったようです。
先ほども書いたとおり、終戦後母の日はアメリカにならって5月第2日曜日になり、現在に続く、という訳なんですね!うーん、日本でも教会やキリスト教が関わっていたのですね~。
本格的に祝いたい人が知っておきたい事っ!
「あなたの父と母を敬え」
いきなりですが、コレは聖書十誡の第五誡になります。キリストはこの言葉に従って生きました。
十字架にかけられてなお母マリアを案じ、その行く末を愛弟子ヨハネに託しました。そのキリストの心を理解する人たちによって、母を愛し敬う日、母の日が定められたんですね!
そしてその定着にも、クリスチャンの方々の力が大きく働いています。母に贈る赤いカーネーションは、聖母マリアの涙から生まれたという伝説があるそうです。
その名前はコチラ。
- ギリシャ語 ⇒ コロナ(王冠)
- ラテン語 ⇒ カーン(肉)
なんとなく、キリストのいばらの冠や光背、血肉を想像させませんか?
「母に贈り物をあげる日」というある意味お手軽な感じもイイですが、もっと純粋に深く母の愛に感謝したい方は、先ほどの言葉を胸に刻んで、聖書を読んだり、教会の母の日を訪れるなどをしてみてどうでしょうか?
まとめ
いかがでしたか?「母の日なんて、お母さんに何かプレゼントするだけの日でしょ~?」なんて思っていた私ですが、その由来を知ったら、目からウロコならぬコンタクトレンズが外れそうになりましたよ(笑)
母の日は、プレゼントだけじゃなく母への深い愛情や尊敬を表す日だったんですね。日本では「母は子に愛を注いでアタリマエ!!」な感じだったので、「へ?母にお礼?なんで?」と根付きにくかったのでしょうね。
さすがキリスト教は愛の教え!簡単なプレゼントだけじゃなくて、今年はしっかり「お母さんありがとう」と言葉にしてみようかなあ、なんて思っています。こういうストレートな表現ってあまりしないので、1番喜んでくれそうですよね^^
もちろん、愛情の赤いカーネーションも一緒にね♪
Leave a Reply